たとえ一秒たりとも見ていなくてもRTA in Japanは垂れ流す
RTA in Japan が絶賛開催中である(8月12日現在)。
長期休みの風物詩となった大人気チャリティーゲームイベントであるが、ここのところ毎回欠かさずチャンネルを開いて垂れ流している。
だが物凄いファンなのか? と言われると正直そうでもない気がする(無論面白いし好きだが)。全てのプログラムをかじりつくように見ているわけではなく、他に用事をしていたら見れない事はあるし、部屋にいても画面を見ずに音声だけを受動している事もざらにある。最後まで真剣に見たプログラムは両手の指ぐらいで足りると思う。
でも間違いなく自分の生活に必要なイベントだし、なくなるのは困る。
これは面白さというよりも実利の問題のような気がする。
そもそもRIJに限らずゲーム実況を垂れ流す理由は「他人が裏で何かを進めているのが安心するから」という点が多分にある。
自分がダラダラ過ごしていたとしても他人が進捗をこなしているというのは、それが自分の計画とこれっぽっちも関係ない事柄だったとしても「無駄ではない時間」という感じになる。
普通のゲーム実況でそれなのだから、ある意味で最上級の段取りと言えるRTAは、何というか精神的なサプリメントに近い。かつて電子ドラッグという言葉があったが、ついに電子サプリメントまで現れた。
自分が放恣佚楽していたとしてもメタルギアソリッド3を爆速でプレイしている様を横目で見るだけで異様な安心感に包まれる。
しかも投げ銭をすればチャリティーイベントなので本当に他人の助けになる。やったった感がさらに上がる。凄い。普段の陽の光が当たると言いづらいRTA走者の人々は多大な称賛を得られ、集められたお金は必要な地域に届けられ、自分は精神の安寧を得られる。
三方良し、としか言いようがない。ハートマン軍曹だって「俺に良し、お前によし、んーーヨシ」と仏の顔になるだろう。
RIJ、どうかずっと続いて欲しい。
ジョジョの画風変節
AIの機械学習によるイラスト生成の話題で最近賑わっており、敬愛する荒木飛呂彦先生の「絵柄」とはなんだろうなとフト思った。
ネットでも広くネタにされており、パロディとして絵を真似る人も多い。荒木先生自身、「10メートル先からページの端がチラッと見えるだけでも作者がわかる絵を描くのが大事」という風な事も言っていた。
だが、当然のように荒木先生だって数十年も漫画を描き続ければずっと作風だって変化する。人間讃歌のテーマは変わっていないしセンスもずっと通底するものがあるけど、やはり第一部と第八部を見比べるとまるで違う。
ざっくりとだが、ジョジョの「絵柄」の変節について軽くではあるが大きく4つに分けてみた。
① 波紋編
劇画調で、北斗の拳の原哲夫を意識している所がある。
時代が時代なのでゴツゴツとしたマッチョな肉体美が強調されていた。
② 3部
いわゆるジョジョの画風と呼ばれるものが出てきた萌芽。登場人物のゴツさは多少なりを潜めた。顔の作りもスマートになって「らしく」なっている。
スタンドはスタープラチナのようなギリシャ彫刻的な造形と民族仮面のような呪術的な要素を持つ造形で大別できる。
③ 4~6部
おそらくネットでパブリックなジョジョのイメージとして多く共有されている絵柄。
3部までと比べると丸みのある絵柄になり、波紋編の絵柄はすっかり鳴りを潜めている。スタンドも生物的と機械的な趣きが混ざり合っていたりと多彩。
正確には各部でも絵柄にはきっちりと変節はあるが、週刊誌連載の円熟期としてひとまとめにしてもいいと感じた。
4部はコミカルでデフォルメが効いておりとっつきやすい。
5部は全体的なトーンが暗めで、逆に6部は明るめの印象。
④SBR以降
写実的な絵柄になり、より微細な表情を表現できるようになっている。顔のアップが多い気がする。
特に変化の兆候が目に見えてわかりやすく、リンゴォ・ロードアゲイン戦前後あたりではっきりと6部の絵柄から変化しているのが感じ取れる。
スプラトゥーン3 前夜祭 所感
スプラトゥーン3の前夜祭を朝9時からほぼ10時間ほどプレイしていた。
僕は前作で一応アサリ以外はX帯にまで辿り着いた実績があるので多少の腕の覚えはあったが、やはりそれは相手も同様で、新ステージに武器の構成が変化していても歯ごたえがあった。
以下に今作で感じた事を書き留める。
① マップが前作よりも広め?
感覚の話なので正確ではないかもしれないが、新ステージは横に広い感じがする。カバー範囲を前作以上に意識しなければ、自陣に入られる可能性が高くなっているような気がした。
裏を返せばこちらにとっても劣勢での逆転の目がある、という事であり、自陣内に押し込まれたら打開不可能という状況が薄くなって良い調整だと思う。
② 新ブキ「ストリンガー」「ワイパー」
軽く使ってみたが、どちらも決定力には欠ける。ワイパーはローラーのように雑に振り回したら偶然キルを取れるような威力は基本ないし、ストリンガーこと弓も塗り能力は高くなく、フルチャージの直撃でも1確はできなかった(と思う)。
ただ、ワイパーは機動力、ストリンガーは着弾後の爆発で敵を翻弄できるポテンシャルがあり、サポート役と考えれば嫌らしい動きができそう。
③ トリカラが楽しい。
3チーム中、攻撃側の2チーム(2×2人)VS 防衛側の1チーム(4人)に分かれて戦うモードがあるが、これが結構楽しい。
2チーム側は対戦相手の陣地内にあるスーパーシグナルと呼ばれるオブジェクトを奪取するとステージ内のどこかに試合終了まで自チーム色のインク雨が降る。
攻撃側は分断されている状態から始まるので、上手く連携を取らないとあっさりやられる。さらに言えば、向かい側の攻撃チームは同じチームとはいえ陣営は違うので、如何に彼らよりも塗り広げられるかの駆け引きもあり、面白いシチュエーションだった。
④ 回線が不調気味
無料体験版なので仕方ないかもしれないが、回線切断やエラーが多発していた。
試合中のラグも結構あったように感じる。
人数過多による重量オーバーと思いたいが、任天堂の回線はちょっと軟い所があるので製品版がちょっと心配。
以上である。
前作はちょっとストイックすぎたイメージがあるので、今作はいい具合に緩和されている印象。順当に期待通りの面白さだったので、発売日が楽しみ。
何でブルアカの「性」にだけ過敏なのか
ブルーアーカイブの先生は個別ストーリーで時折アレな変態となる。
これを生徒を性的消費しているのでモヤるというのがチラホラ聞こえる。先生が女だったらまぁギリいけるという声もある。
言いたいことは理解できるが納得はしてない。
先生は変態じゃない、と言いたいのではなく、何であの世界観の中で「性的消費」だけに目を向けられるのかがわからない。
(もっと言うならそもそも性的消費という言葉自体も定義が明確ではないので好きではない。女性同士だったら消費量が減るという計算も意味不明)
だいたい先生云々以前にブルアカの舞台であるキヴォトスは「おかしい」のである。
ちょっとした切欠で生徒は弾丸や爆弾を飛ばすし、破壊活動なんて日常茶飯事。統治機構も機能しておらず、各学園の自治に任せている為に治安は滅茶苦茶。
いくら生徒が弾丸を食らっても死なない存在とはいえ、それでも現実レベルで当て嵌めるならそこかしこで殴り合いの喧嘩が行われてる状態なのだからどっちにしろ異常だ。
もっと言うならその中で先生だけは弾丸一発が致命傷になる。いつも戦闘が起こってもケロッとしてるのであんまり意識されないが、これは相当メンタルが強靭でないと出せる態度ではない。
つまり先生にとっての、普通では明らかに異常な環境下でまるで日常のように振る舞っているのがブルアカ全体のリアリティラインを意図的に下げる演出になっているのであって、何故ここで先生が変態行為をする「程度」のことだけを気にするのか。アンフェアではないかと思う。
別に先生が変態になる時があるのは事実だし、それが気持ち悪いと思うのも不思議ではないが、犬猫やロボットが闊歩し人間体は女性しかおらず、暴力が振るわれること自体にさしたる抵抗感がないぐらい現実感を薄めた世界観で、何で「性」の話だけが姿勢を正されてしまうのか。
こんだけお膳立てされてるんだからもう言い方は悪いが「気持ち悪い事をめいっぱいやる」のが目的の一つだと諦められていいのではないか。
同じヨースターであるアズレンだと色々とあからさまなお陰がこの手の拒否反応はあんまり見かけないが、ブルアカはなまじキービジュアルの明度や彩度が高くてキャラデザもソシャゲにしては小ざっぱりしているせいか、どうも何かギャップを感じるようなものがあるらしい。
メインストーリーでは普通に先生が格好いいのと、先生と生徒を「大人」と「子供」として強調して対比させているのも原因か。
しかしブルアカの言う「大人」って子供の夢を見守るとか踏み台にして利用しない程度の話だし、コミュニケーションとして成り立つなら現実でいうセクハラ紛いの事でもブルアカだったらOKと受け取るしかない。
先生以外に例を挙げるならハナコとコハルの関係だって明らかにハナコがセクハラしとるがちゃんと良いコンビになっている(もっと言うならハナコは先生にすらセクハラする)。ハナコレベルでなくても先生に湿度の高い感情を向ける生徒は割といる。
ジョジョ9部「JOJOLANDS」ストーリー考察
ジョジョリオン完結から1年になる。
現在、荒木先生は岸辺露伴シリーズを2作発表するのみで第9部の情報についてはほぼ皆無に等しいが、「JOJOLANDS」という仮題を元にどういうストーリーか考察してみる。
① ロードムービー
ジョジョは3部以降だと「ロードムービー」と「舞台固定」を交互に繰り返していて、このセオリー通りだと9部は各地を転々として目標地点にたどり着くような話になるかもしれない。
LANDSとはそのまま土地を意味するが、「ある土地に行く」というストーリーが展開されるとすればこれまでのジョジョ、3,5,7部には無い特徴である。いずれも何かのアイテムや人、ゴールを目標に設定されており、土地そのものに意義がある事はなかった。
② アイデンティティ
SBR以降の主人公は、第6部まで培ってきた「ジョースター家」という称号を剥奪されており、「自分は何か?」「何処に帰ればいいか?」を常に探している。
ジョニィは足と家を失い、その失ったものを取り戻そうとするし、定助に至ってはついに自分のIDすら消失したスタートから始まった。
ジョジョリオンは難解と言われているが、一連のストーリーが土の中から生まれた定助が最後に東方家の中でケーキを選ぶ話と考えればさほど読解に苦労はしない。
第9部のジョジョもまた何らかが「失われた」状態から始まる可能性が高い。
率直に土地、生まれ故郷を追われた、あるいは故郷を探している主人公が連想できるが、荒木先生の突拍子のなさを考えれば予想外のものが「無い」かもしれない。
③ 土地への意識
これまでの話は「土地」が関わることを前提にしているが、タイトルからの連想のみではなく、直近の岸辺露伴は動かない「ドリッピング画法」でも「人が自分が生まれた土地を想う事は何よりも重い」と言及がある。
ジョジョリオンでも開始直後に杜王町が東日本大震災の影響を受けた設定を出しており、インタビューでも「旅行は好きじゃないが、現地の土地や文化を見るとインスピレーションが湧く」と発言しており、以前から土地そのものに何かしらの重点を置いている事は間違いない。
離島と都会、ジャンクフード
盆休み中に二泊三日で旅行に行った。
初日は小豆島で過ごし、二日目は姫路市内(駅前ホテル)というスケジュールだった。
離島と地方都市という180度真反対というか130度ぐらい違う場所でそれぞれ泊まって、ギャップの違いを楽しんだのだけど、今の心境としては文明と接している方が心が落ち着くらしい。
離島はのどかでゆったりとした空気が流れているが、それが逆に自分の焦燥感を煽る。「こんなトコでゆっくりしてていいのか?」みたいな、何かに置いていかれるような感覚に陥る。
逆に商業施設が併設しているような大きな駅前だと落ち着く。深夜にフラッと外に出ても何かしら店が営業していたり、人が行き来していたりと、常に何かが稼働している。
マクドナルドでポテトやアイスを買って、ホテルの部屋でRTA in japanを見ながら時間を無駄に過ごす。ホテルで食べるジャンクフードはどうしてこんなに贅沢なのだろう。