「黄金の精神」はジョジョ全てを統括しない。

「黄金の精神」というとジョジョを代表する台詞だが、本編中で出たのは4部エピローグのジョセフの発言のみである。

 

ジョースター家は世代を越えても「正義」の象徴として確固たる地位を確立している。ポルナレフで言うところの「正しいことの白」だ。
実に少年漫画らしいパトスを感じる。
だから、字面としての「黄金の精神」は次部の「黄金の風」との繋がりも相まってジョジョそのものという感じもするが、これをジョジョ全てに統括しようとするのは違和感がある。

 

そもそも「黄金」とは何か、という月並みな問いがある。

黄金というのが「正義」の最高位としての利他的行動、より大勢の人間を守ることを意味するならば、これに該当するのは仗助とジョルノだ。この二人はアプローチこそ真逆だが、街の治安が明確に目的にある。

他の主人公は? というと、確かに彼らも利他的な動機が根底にあるのは確かだが、行動の起点が個人(ディオ)の因縁に依るものが大きい。

 

さらに言うならば、その正義もSBR以降は相対化されている傾向にある。
ジョニィが「どちらが黒か白かなんてどうでもいい」と言ったのが象徴的だ。定助にしても同じ杜王町が舞台ながら、街を守る話など微塵もない。
「黄金の精神」をジョジョの最大公約数と捉えるのは少々無理があるように思う。

 

ジョジョの奇妙な冒険というシリーズを大きな河の流れと例えれば、「黄金の精神」とは4~5部の部分で発生した「飛沫」と見る方がしっくりくる。
黄金の精神を他の部で翻訳すると「漆黒の意思」だったり「テメーは俺を怒らせた」にもなる。